第一次世界大戦の教訓の学び方の具体的事例として、陸軍の永田鉄山と石原莞爾の二人についてです。
● このページの内容
永田鉄山について
永田鉄山 『国家総動員』 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 1928
永田鉄山と言えば、昭和初期の陸軍統制派の中核人物であり、「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と言われたほどの逸材です。満鮮視察の結果、朝鮮については自治の政体にして国防だけ日韓同盟、満州国については民政部門の日本人は顧問の域を出ないようにして軍人は国防方面だけに援助、と考えるほどの見識を持っていたと言われています(伊藤正徳 『軍閥興亡史』)。
陸軍軍務局長であった1935(昭和10)年に、皇道派に扇動された相沢中佐に斬殺されてしまいました。彼が生きていたら二・二六事件は起こらず、また日支事変も起こらず、起こっても必ず早期に解決したに違いないとも言われています(同上書)。永田鉄山の斬殺は、誠に残念なことであり、日本が昭和前期の大きな不幸に進んでいった原因の一つとなったと思います。
本書は、この永田鉄山が、陸軍省整備局動員課長時代の1927(昭和2)年12月に大阪で行った、「国家総動員」についての講演録です。国立国会図書館「デジタルコレクション」でインターネット公開されています。
講演録ですから、分かりやすさが第一で、深く突っ込んだ分析追及はされていませんが、この当時の永田鉄山の考え方が分かる資料として参照しました。
本ウェブサイトでは、「5 日本が学ばなかった教訓 5d 兵員数より最新兵器」、および「同 5f 孤立せず国際協調」のページで、本書からの要約引用を行っています。
石原莞爾について
石原莞爾 『最終戦争論・戦争史大観』 中公文庫 1993
(「最終戦争論」は1940年5月の講演速記に追補されたもの、「戦争史大観」は1940年1月が
それぞれ最終稿)
本書には、「最終戦争論」・「『最終戦争論』 についての質疑応答」・「戦争史大観」が収録されています。執筆出版の経緯等について、実弟の石原六郎氏による注記があるほか、五百旗頭真氏による解説が付されています。
石原六郎氏の注記によれば、各論文の発表年は以下のとおりです。
● 「最終戦争論」は、1940年5月の講演速記に追補、『世界最終戦論』 として立命館出版部より1940年に初刊。
● 「『最終戦争論』 についての質疑応答」は、初刊刊行後の反響に応えて1941年11月脱稿、『世界最終戦論』 の新生堂版(1942年)に収録。
● 「戦争史大観」は、第1篇の「戦争史大観」は1940年1月が最終稿、第2篇の「戦争史大観の序説(由来記)」は同年12月脱稿、第3篇「戦争史大観の説明」は1941年2月脱稿、これらをまとめて中央公論社から出版しようとしたところ、同社が「発売に踏み切ったとたん、当局の指示で自発的絶版にせざるを得なかったもの」。
「最終戦争論」は、戦争史研究家としての研究成果を石原莞爾流に整理したものであり、以下のようなきわめて独自の戦争観を表明しています。
● 「軍事上から見た世界歴史は、決戦戦争の時代と持久戦争の時代を交互に現出」し、今は「まだ持久戦争の時代」である、戦術は「点から線から面に来た」
● 次の決戦戦争の時代は「体(三次元)の戦法」で「空中戦を中心としたもの」になる
● 「戦争発達の極限に達するこの次の戦争で戦争がなくなる」
● 優勝戦を戦うのは東亜と米州、「今から30年内外で人類最後の決勝戦の時期に入る」
「戦争史大観」は、「最終戦争論」を持論とするに至った、石原莞爾の軍事史の見方に対する根拠を明らかにした論文とその説明であり、戦争史を、戦争指導要領・会戦指揮方法・戦闘方法・軍制といった観点から分析したものです。
第一次世界大戦(欧州大戦)や第二次世界大戦でのヒトラーの電撃戦についての詳論も含まれています。ただ、作戦本位で、兵站まで含めた分析になっていない点は、石原の個性ではありますが、分析の限界にもなっているように思われます。
石原莞爾は、第一次世界大戦後の1923~25年の2年ほど、戦史研究のためドイツに留学しています。研究の主対象は18~19世紀のフリードリヒ大王とナポレオンの戦史で、第一次世界大戦の研究が主目的ではなかったこと、またドイツ留学の機会にイギリスやアメリカには立ち寄っていないことが、彼の物の見方を広げきれなかった要因になったように思われ、誠に惜しまれます。
しかし、現実に第一次大戦後のヨーロッパを体験し、ドイツの戦後ハイパーインフレも実経験したことが、「ドイツは主として経済戦に敗れて遂に降伏した」という認識の背景をなしている、とも思われます。実際、石原自身が、「私の最終戦争に対する考え方は…ベルリン留学中には全く確信を得たのである」と言っています(「戦争史大観の序説」)。
持久戦争論はなかなかの認識だと思いますし、最終戦争論も、軍事技術の長期的未来予測としては、ほとんどを言い当てています。ただ、持久戦時代の現実から、数十年先の最終戦争時代に向かっていくための対応策を考えるにあたり、「ドイツは主として経済戦に敗れて遂に降伏した」と明言しているのにかかわらず、当面の政策論において特に経済的な見方が弱かった点が、石原の理論の最大の弱点になった、と言えるように思いますが、いかがでしょうか。
本ウェブサイトでは、「5 日本が学ばなかった教訓 5b 総力戦でなく経済力戦」のページで、本書から要約引用を行っています。
次は、本ウェブサイトの最後になりますが、日本軍人の中で、第一次世界大戦の教訓を最も的確に学びとった一人であった、水野広徳の著作や評伝についてです。