d 筆者の自己紹介

 

このウェブサイトを製作者である「筆者」について、自己紹介をさせていただきます。名乗るほどの者ではございませんので、経歴の概略だけを申し上げたいと思います。

 

 

学生時代、いったんは研究者を目指したが、落ちこぼれ

筆者は、1952年生まれ。小学生から大学生へと成長していった時期は、まだ貧乏国だった日本が、急速に経済成長していった時代と、完全に重なっています。大学の学部時代には、経済成長論との関わりでイギリス産業革命を研究する、というゼミに所属していました。このウェブサイトでも、経済成長の観点をついつい重視してしまっているのは、この経歴によるものと思います。

文科系なのに、素直に就職する気にはならず、研究者になる道を目指して、大学院に進みました。こういう期間がありましたので、研究書や論文は、それなりに読み慣れました。しかし、大学院に進んでみて分かったことは、どうも自分には、学問を飯のタネにする研究者生活は合っていない、ということでした。明らかに「落ちこぼれ」となり、何とか修士課程修了という形だけつけて、一般企業に就職しました。

その後、企業での仕事は定年まで続けられたわけですから、やはり、研究者の道よりもビジネス世界の方が筆者には合っていた、と言えるようです。

 

企業生活で身についた、定量的評価とカイゼン

企業生活で身についた「ものの見方」で、研究者生活時代と最も異なる点は、「定量的評価」と「カイゼン」という2つのキーワードに集約されるように思います。

企業活動が政治や学問の世界と大きく異なる点の一つに、企業はその結果がすべて数字で評価される、という点があります。どの企業も、期間の業績は必ず、売上・営業利益・経常利益・当期利益などの数字で定量的に表されます。好調な業績であるのかそうではないかは、異なる期間の数字を比較することで、明白になります。その企業の経営が社外からどれだけ支持されているかは、株価という形でやはり定量的に評価されている、という言い方が可能であると思います。

社内のさまざまな業務にも、定量的な計測や評価が可能である限りは、定量的なデータ測定がありそれに対する定量的な管理基準も決まっています。例えば製造現場では、製品の品質確保とコスト低減の両方の目的から、さまざまな定量的測定が実施され、記録され、分析されています。営業部門であっても、売上高や粗利率などの指標で、業務管理がなされていますし、個々の担当者の客先訪問回数などといった指標管理が行われている企業も少なくないと思います。

こうした状況から、企業で仕事をする人間は、担当職務によって多少の差はあるものの、基本的には、定量的に物事を考える習慣がつきやすくなる、と言えるように思います。

そして、どの企業も、当然ながら業績を良くしたいと考えますが、そのために最も効果がある手法が、カイゼンです。製造業の企業にとどまらず多くの企業で、また製造現場だけでなく事務営業部門を含む多くの職場で、長年、「提案制度」とか「小集団活動」などといったカイゼン活動が積極的に行われてきていると思います。

カイゼン活動では、カイゼン効果を検討しあるいは確認するために、定量的な評価を行うことが必須であり、「カイゼンは定量的評価の具体的な適用法の一つである」という言い方もできるように思います。

活動の形態はともあれ、今行われているやり方が最善と考えてはいけない、もっと効率の上がるやり方ができないか、常に課題発見の努力を行い、実情についての定量的な把握を行ったうえで、その数字が向上できるように工夫しよう、というのがカイゼンの本質的な手法であり、間違いなく、この手法によって、日本の多くの企業が業績を向上させてきたと思います。したがって、企業生活をする者は、必然的に、定量評価の習慣のみならず、カイゼンの本質的な手法、カイゼン精神を身につけていることが多い、ということになるように思います。

 

国際コミュニケーションには有効だった、定量的評価とカイゼン

筆者の場合、たまたま就職したのは、海外にも工場のある製造業の企業でした。最初は日本工場製品の輸出部門に所属、のちに海外に出て、現地工場製品の販売や、現地工場の管理運営などを担当した時期もありました。海外に出ていた期間は合計で10数年ほどでしたが、結局定年まで、日本にいた期間の大部分も、何がしか海外に関わる業務をしていました。

海外に関わる仕事をしていたことが、筆者の定量的評価とカイゼンへの指向をより強めたように思われます。日本と海外では、また海外は国によってもいろいろですが、やはり考え方に多少の相違はあります。すると、海外の企業を相手にしては、日本流の交渉ではなかなか合意に持ち込めない、あるいは海外工場の現地社員をなかなか説得できない、という状況も出てきます。

筆者自身の経験としてまず言えることは、定量的なデータに基づく評価を適切に行うことが、どこの国でも、相手からの理解・合意を得るのにはきわめて有効な手段である、ということです。

定性的な議論だけをしますと、相手も別の観点からの定性論を持ち出してきて、少しも合意に至らない、ということがあります。例えば、「顧客第一」を主張する人と、「安全第一」を主張する人が議論をすると、お互いの主張がぶつかり合うだけで、なかなか合意が得られません。

しかし、どの対策がより不良品率を低くできるか、よりコストを低下できるかなど、定量的なデータに基づいて数字の大小を比較する話になれば、合意が容易になります。とくに米国では、定量的なデータを欠いた定性的だけの議論は、ほとんど信用されない、という傾向が強くありました。つまり、合意を得るためには、そもそも定量的なデータが必要条件であることが、しばしばであったわけです。

また、カイゼンの本質的な手法を適用して対策を考えることは、相手がどの国であれ、相手からも理解が得やすい方法であったと思います。こういう工夫を加えると結果の数字はさらに良くなるのではないか、という議論を行えば、相手もその議論には乗りやすくなって、議論が進むことが多かったのです。

要するに、定量的評価とカイゼンは、少なくともビジネスの世界では、国際的なコミュニケーションを促進して合意を形成するのに有用な手法である、と言えるように思います。

 

国際的に通用する「カイゼン視点」は、ぜひ、適用拡大を

カイゼンは、ビジネスの世界では、少なくとも日本企業の業績向上に、長年貢献してきました。それだけ、効果が実証されている手法である、と言えるように思います。しかも、カイゼンは国際的にも通用しています。

とすれば、日本人がビジネスの世界で慣れている「カイゼン視点」からの検討を、ビジネス以外の世界にも適用拡大をすれば、日本人の発信をより国際的に通用するものとすることが可能になり、世界に広められる可能性がある、と言えるのではないでしょうか。

その試みの一つとして、歴史の見方に適用してみよう、というのがこのウェブサイトの存在理由です。