3a 主要国の戦費

 

第一次世界大戦のカイゼン視点からの総括に進みたいと思います。まずその最初として、

● 主要交戦国は、どれぐらいの費用を戦費として使ったのか
● その戦費はどのように調達したのか
● その戦費調達の結果何が起こったのか
について確認したいと思います。すなわち、第一次世界大戦の資金面についての総括です。

戦争は、紛争解決の手段の一つにすぎません。カイゼン視点からは、ある紛争を解決するのに、戦争という手段を用いるのが最適の選択なのか、戦争を回避して外交その他の手段を用いる方が最適となるのか、費用対効果を考えて手段を選ぶのが適切である、という判断となります。費用対効果を検討するために、どれだけ費用がかかったのかを確認することは、重要な課題です。

ここでは、「費用対効果」のうちの「費用」側を検討します。「効果」側は、「3d 主要各国の得失」のページで検討します。

 

 

戦費については、文献が不足

主要文献として、ブロードベリー&ハリソンの論文とフィスクの著書

戦費の大きさとその調達手段は、非常に重要なテーマであるのに、残念ながら、その点を定量的に詳述した研究書がなかなかありません。

ブロードベリー&ハリソンの論文 「第一次世界大戦の経済学:比較定量分析」

このテーマに関連して、インターネット上で公開されている論文に、Stephen Broadberry & Mark Harrison, ‘The Economics of World War I: A Comparative Quantitative Analysis’ 2005 (訳せば、ブロードベリー&ハリソン 「第一次世界大戦の経済学:比較定量分析」)がありますが、この論文にも、第一次世界大戦の定量的経済分析は非常に少ない、と書かれています。

この論文では、当時の各国のGDP(=Gross Domestic Product 国内総生産) については1995年のA. Maddisonの著作のデータが、戦費については1920年のE. Bogartの著作のデータが使われています。

この二つのデータはそれぞれ別々に、GDPはGDP、戦費は戦費で分析され、同時対比して扱われてはいません。両データ間に整合性が欠けているため、GDPと戦費とを対比しようとすると、例えばドイツの4年分の戦費の総額は1年間のGDPのわずか16.4%で、非常に安上がりの戦争であった、などという非現実的な数字になりかねないため、と思われます。

フィスクの著書 『連合国間の負債:戦中戦後の公的融資 1914-1923』

そこで、このウェブサイトでは、Harvey E. Fisk, The Inter-ally Debts: an Analysis of War and Post-War Public Finance 1914-1923, 1924 (訳せば、フィスク 『連合国間の負債:戦中戦後の公的融資 1914-1923』)のデータを使うことにします。本書も、インターネット上で公開されています。

経済統計がようやく発達しだした時期の分析ですので、推計値を使っている部分が多く、信頼性が高いとは言えないようには思われますが、戦争からあまり年月を経ていない時期の調査によるものであり、当時の「感覚」には適合していて、当たらずとも遠からずの数字であろう、と推定します。

 

経済力の戦いとなった第一次世界大戦 - 国民所得と一人当たり国民所得

主要交戦国の「国民所得」データ

まずは、第一次世界大戦の主要交戦国の各国は、どれ程の経済力があったのか、から見ていきたいと思います。当然ながら、経済力が大きな国ほど、巨額の軍事費を注ぎ込むことが可能であり、軍の装備もそれだけ高度化できる可能性があったからです。

次のグラフは、フィスク 『連合国間の負債』 に記載されているデータを使って、筆者が製作したものです。第一次世界大戦直前の、主要国の「国民所得」 National Income と人口との関係を散布図にしたものです。

第一次世界大戦 主要国の戦前の「国民所得」 グラフ

上のグラフのうち、まずは、当初からの参戦国であった5ヵ国、ドイツ・オーストリアと、フランス・ロシア・イギリスだけに注目してみたいと思います。この5ヵ国を、国民所得のレベルによって区分してみると、次の3つのグループに分けられます。

● 国民所得が100億ドル以上であったイギリス・ドイツ
(イギリスは、このグラフでは本国だけの数字を使っていますが、自治領や植民地を加えた大英帝国全体の国民所得は約200億ドルであり、ドイツよりはるかに豊かでした。)

● 同70億ドル強であったフランス・ロシア

● 同50億ドルに達していなかったオーストリア

開戦時から、「連合国(イギリス・フランス・ロシア)」対「同盟国(ドイツ・オーストリア)」それぞれの国民所得の合計額は、連合国側の方が大きかったことが分かります。

その後、連合国側には国民所得がオーストリアに近いイタリアが参戦、1917年にはロシアが戦線から離脱したものの、段違いに富裕なアメリカが参戦して、連合国側は国民所得合計の差を大きく拡大しました。アメリカの国民所得は約350億ドルと、当時すでに世界最大で、イギリス・ドイツのおおむね3倍の大きさでした。

すなわち、国家の経済力という観点から見れば、最初から連合国側が一貫して優位であり、米国の参戦によってさらに優位性が拡大した、ということができます。逆に言えば、ドイツは経済力では劣位であったのに、4年にわたり奮闘して軍事的な優位を保ち続けました。しかし、最後は経済力の劣性が露呈して降伏せざるを得なくなった、と言えるようです。

 

主要交戦国の「一人当たり国民所得」

ところで、各国の国民所得総額ではなく、一人当たり国民所得に着目しますと、様相が少し変わります。同じく、フィスク上掲書のデータを、筆者がグラフ化したものです。

◎ 第一次世界大戦 主要国の戦前の「一人当たり国民所得」 グラフ

一人当たり国民所得が大きい順に見ていきますと、第一位のアメリカが約350ドル、群を抜いて豊かです。第二位はイギリスで250ドルに近く、フランス・ドイツも150ドルを超えていました。イタリアも100ドル以上ありましたが、オーストリアは100ドルに達しておらず、ロシアに至っては50ドルにも達していない、という経済力でした。

前出の「主要国の国民所得」のグラフと比べて、とくに違っているところはロシアの順位であり、ロシアは国民所得の「総額」ではフランスと肩を並べる大国でしたが、「一人当たり」ではヨーロッパ列国中一番貧しい国であったわけです。

ロシアは1917年には大戦から離脱、またオーストリアも密かに離脱を図ろうとしたことがありました。つまり、長期戦の継続が困難であったロシア・オーストリアの2国は、この「一人当たり国民所得」が最下位の2国であった、という点に注意が必要なようです。

なお、フィスク前掲書によれば、この当時の日本は、人口5300万人、国民所得は16億ドル、1人当たりでは30.2ドル、という数字でしたので、人口はオーストリアよりちょっとだけ多く、国民所得はオーストリアの約3分の1、一人当たりではロシアと比べても3割ほど少ない、という経済力でした。つまり、欧州列国にはまだはるかに及ばないアジアの中進国に過ぎなかった、と言えるようです。こういう発展段階の国が、自国の経済成長への努力をを一層強化するより前に、先進列国に軍事力で張り合おうと発想したことは、あまりにも身の程知らずであった、と言えるように思います。

 

長期戦を決したのは経済力

上掲のブロードベリー&ハリソン論文は、第一次世界大戦が長期戦化したことで、経済力が勝敗を決する戦いとなったことを指摘しています。同論文からの要約です。

短期決戦なら軍事力の戦いだった

1914年のドイツの参謀本部員は、6週間以内の西部戦線での勝利を望んだ。戦争で勝利が得られるのは、軍によってであって、経済手段によってではないと思われており、経済要因が役割を演じ出すはるか以前に、戦争は終結するはずだった。

長期戦となり、経済力の戦いとなった

西部戦線での迅速な勝利に失敗するやいなや、リスクを取り、失敗コストを吸収し、損失を補充し、圧倒的な定量的優位性を蓄積する、連合国のより巨大な能力が、最後にはドイツとのバランスを転倒させることが不可避となった。優位性の実現には時間がかかった。戦闘は最も弱い経済を最初に涸らし、1917年のロシアの脱落になった。

短期戦なら軍の力だけで戦えるが、長期戦になれば国家の経済力の戦いになる、という指摘は誠にもっともであると思います。ただし、経済力の戦いが勝負を決するまでに4年以上かかった、という点では、明らかに、ドイツの軍事力使用の上手さが効いた、と言えるように思います。

 

重要経済要因は、人口・領土・GDPと、とりわけ一人当たりGDP

経済指標として何があるか、その意味は何かについて、上掲のブロードベリー&ハリソン論文からの要約です。

人口・領土・GDPの意味

人口は、各国が軍事に使用できる男女の数を制限。領土は、農業・鉱業に使える広さと自然資源を制限。GDPは、兵士に与える武器や食糧の量を制限。一国の人口・領土・GDPがより大きければ、敵対国の軍を圧倒することが容易になる。

最重要要因は、一人当たりGDP

最も重要なのは、1人当たりGDP、それがその国の発展レベルを反映。
貧国は大人口があっても、多くが低生産性の自給自足農業に従事しているなら、彼らの大部分を農業から軍や軍需産業に移せる現実的な可能性はほとんどない、残りの農民だけで皆の生命を保つ生産は不可能。大領土も、道路や鉄道の高レベルな発達なしには、それを経済的な活用と軍事的な防衛はできない。貧国は典型的に、資源を国民的な優先事項に向けるのに必要な、効率的な政府と金融サービスを欠いている。

フィスク著書の「国民所得」と、ブロードベリー&ハリソン論文の「GDP」 とは定義が異なることは間違いないと思いますが、概略の指標としては同類に扱えるように思います。ここでは便宜上、この両者を厳密には区別せずに以下の議論を進めます。

上述しました通り、一人当たりGDPが低かったロシアとオーストリアは軍事的にも弱く、長期戦の中で脱落していったのは、経済的分析からは当然の結果であった、と言えるようです。1914年7月のこの2国の行動が、大戦の開戦を招く原因となったことは、誠に皮肉なことでした。

他方、ここから、当時のの日本軍が学ぼうとしなかった、第一次世界大戦の重要な教訓の一つが見えてきます。第一次世界大戦後の日本軍は、ロシアとオーストリアがなぜ第一次世界大戦の長期戦から脱落したのか、その経済的な意味を考えようとしなかった、あるいは気がついていても意図的に考察の対象外にしてしまった、と言えるように思われる点です。

そのために、日本の「総力戦」研究は、まだ中進国であった日本の経済成長論・工業化論を基盤とせず、少ない資源の辻褄合わせを行うだけの皮相な研究に陥ってしまい、さらに昭和前期の日本軍に至って、国家の進路を歪めて大失策を招いた、と言えるように思いますが、いかがでしょうか。

 

主要各国の戦費支出

各国の戦費支出総額

具体的に各国はどれだけの戦費を使ったのでしょうか。同じく、フィスク 『連合国間の負債』 のデータを筆者がグラフ化してみました。まずは、主要各国の戦費総額についてです。

第一次世界大戦での主要国の戦費総額 グラフ

このグラフの青い棒は「直接戦費」額を、その上に赤い棒がある場合は「借款供与」額を表しています。直接戦費額は、各国が、1914年から1919年の6年間(後払いも含め戦費支出があった全期間)にわたり実際に支出した国家支出の総額から、通常支出、すなわち戦争がなかった通常状態で支出されていた金額と、借款供与額とを、差し引いた金額です。

このグラフから読みとれることは、

● 「直接戦費」支出1位の座を、ドイツとイギリスが争っていた。大英帝国が1位、僅差でドイツが2位であった。あるいは、イギリス本国単独で見れば、ドイツが1位、イギリスが2位であった。

● イギリスまたは大英帝国は、自国が戦場となったフランスやロシアよりも「直接戦費」支出が多かった。

● イギリスは「直接戦費」支出に加えて、他の連合国への巨額の「借款供与」も行っていた。すなわち、「直接戦費」によって自国の戦闘を支え、「借款供与」によって他の連合国の戦闘も支えた。

● ロシアの「直接戦費」が少ないのは、戦争から早く脱落したため。

● アメリカは、参戦期間は短かったものの、フランスに近いレベルの「直接戦費」を支出した。また、連合国への「借款供与」はイギリス以上の巨額で、「直接戦費」+「借款供与」の合計額は、連合国中イギリスに次ぐ2位であった。

長期間の大戦に、各国とも巨額の戦費を使わざるを得なかったことが分ります。最初に挙げた「国民所得」のグラフと見比べていただくと、国の経済規模が大きければその分使える戦費も大きくなる、長期戦になったら戦争は金持ちの国の方が有利、といえることが良くわかります。

 

独・英の戦費は、通常支出の4~5年分、国民所得のほぼ2年分

上記の戦費支出を、戦争がなかった時の通常支出や、戦争直前の国民所得と比較すると、どの程度の大きさなのでしょうか。再び、フィスク上掲書のデータを整理してみます。

戦争がなかったときとの比較であり、戦費調達の結果が高いインフレ率となった(詳細は後述)という事実もありますので、戦費については、インフレ影響額を除いた「1913年のドル価値」ベースで比較されています。(実際に支出された戦費は、インフレ分の金額が膨らんでいます。したがって、もしも実費金額ベースの戦費と戦前の通常支出とを比較すると、倍率はさらに高くなります。)

主要国の戦費 通常支出・国民所得との対比 表

通常支出との比較でみると、ドイツ・イギリス・アメリカの3国が、突出して倍率が高く、通常年の支出の4~5年分以上を戦費として支出していたことが分ります。

国民所得との比較でみると、ドイツとイギリスは、国民所得の1.8年分をまるまる戦費として支出していたことになりますが、アメリカの場合はわずか0.4年分で、通常支出は、経済規模に対し相対的に小さかったと言えます。他の国々も、国民所得の1年分以上を、まるまる戦費に注ぎ込んでいたことがわかります。全てが武器弾薬と兵士の食糧に優先され、一般人の市民生活での必要は切りつめられた状態であった、と言えます。

 

主要各国間の戦費捻出のための借款

次は、「借款」についても、各国の「供与」と「借入」がどういう状況であったか、同じくフィスク前掲書のデータを使って、グラフ化してみたものです。青い棒が借款供与額、赤い棒が借款借入額です。

第一次世界大戦での主要国の借款の供与と借入 グラフ

ここから分かることは、以下のようになります。

● 連合国側では、最大の借款供与国はアメリカであった。

● 供与2位のイギリスは、借入もした。しかし供与額の方が多かった。

● フランスも供与・借入の両方があったが、借入額の方が多かった。

● 借入額から供与額を差し引いた実質借入額では、イタリアが最大、次がロシア、3位がフランスで、後はその他連合国であった。

● 同盟国側はシンプルで、ドイツだけが貸し手、借り手はオーストリアとその他同盟国(トルコ・ブルガリア)であった。

金のない国は、多額の借金をしてまで戦争をした、という状況が浮かび上がってきました。

最初から戦ったロシア・フランスはやむを得ないとしても、イタリアは事情が異なります。当初は中立で、攻撃を受けたわけではないのに参戦しました。借金額第1位の借金までして戦争をしたのに、ドイツ軍に押しまくられていた、という経緯ですから、イタリアの参戦の判断は適切だったと言えるかどうか、大いに疑問とする余地がありそうです。

もう一つ言えそうなことは、戦争を長年続けるには、多額の借金に応じてくれる友好国の存在が非常に重要なことです。フランス・イタリアなどは、アメリカやイギリスからの借款供与があったればこそ、長期戦が継続できた、と言えるように思われます。

 

資金面から見た第一次大戦は、「独 対 仏英露」ではなく「独 対 英米」の戦い

ここまで、第一次世界大戦の戦費について確認してきました。そこから分かったことは、資金面から見る第一次世界大戦は、ドイツ対イギリス・アメリカの戦いであり、資金力で圧倒的な優位にあったイギリス・アメリカの側が順当に勝った、ということです。

軍事面だけ見ている時の、ドイツ対フランス・イギリス・ロシアが中心の戦い、という印象とは大きく異なった姿です。フィスクは上掲書の中で、「戦争の前半はイギリスが連合国の銀行であった」と述べています。後にアメリカが参戦すると、アメリカが借款を供与するようになります。

また、軍事・資金両面を眺めることで、第一次世界大戦でイギリスが果たした役割の大きさに気がつきます。間違いなく、連合国側はイギリスが参戦していなければ、勝てていなかったでしょう。

「第一次世界大戦の経過 2a2 1914年の西部戦線② シュリーフェン計画失敗の原因」のページで確認しました通り、実はドイツはシュリーフェン計画を実行する必要がなかった、という見方があります。シュリーフェン計画を実行して、イギリスを戦争に引き込んでしまったことは、イギリスによる連合国への資金面からの支援という点からも、ドイツ参謀本部の大失策であった、と改めて思う次第ですが、いかがでしょうか。

 

各国の戦費調達方法 - 圧倒的に借金と紙幣印刷、結果はインフレ

フィスク 『連合国の負債』 の分析

この巨額の戦費を、各国は国内ではどのように調達したのでしょうか。フィスク 『連合国の負債』 はこの点についての分析も行っています。以下は、同書からの要約です。

各国は、戦費調達方法を考えずに開戦した

参戦した諸国は、戦争の準備は、とりわけ財政的には、何も出来ていなかった。そういう状況では、手段は、何らかの形態での資金借入とならざるを得なかった。

戦費は、ほぼ全額が借入で賄われた

1913年のドル価値で計算すると、戦争期間中の財政支出増加分すなわち戦費分への対応では、96.8%は借入により、わずか3.2%だけが増加した収入で賄われている。ドイツ側はその必要額のすべてを借り入れし、連合国側は約94%を借り入れた。

まずは、紙幣発券銀行への短期国債売却により紙幣印刷

参戦したすべての国で同時に発展した方法は、1年以内で満期となる利付国債を印刷することであった。欧州大陸の国々では、これら国債はそれぞれの中央銀行に割引価格で提供され、すると銀行は紙幣を引渡した。イギリスでも、国債やその他の証券の預け入れに対し、財務省の代理人として、イングランド銀行によって紙幣が発行された。

個人への国債販売や、短期国債吸収のための長期国債の販売

多数の政府が、国債を、大衆にも直接提供した。国債は個人によっても大きく購入された。戦争資金調達の次のステップは、金融市場が短期証券で混雑しすぎないよう、短期国債を、満期まで数年の期間の長期債券に当てさせることであった。ほぼどの国も、年に1回ほど、短期国債での支払を受け付ける、より大資金の借入を売り出した。長期国債は、短期国債によってだけ支払われたのではなく、かなりの金額の現金でも買われた。

戦費調達のために税収増加を図ったのは、イギリスとアメリカだけ

イギリスとアメリカの政府以外は、国民により重い税金を払うように求める勇気を持っていなかった。イギリスの場合は、所得税について税率引上げおよび課税最低限度の引下げ、超過利益税と呼ばれる戦時利得税の導入およびその税率の引き上げ等を実施した。

結局、戦費は、インフレによって支払われた

戦争は、多少の程度の差はあれすべての参戦国で、通貨のインフレーションによって支払われた。全ての関係国の戦費の83.5%、連合国の場合は77.2%、その敵の場合は100%が、国内借入によるものであった。外国の資本市場での契約の場合は、金貨による返済の規定が通常であったが、内国債は通常単に自国通貨による返済であった。

 

経済損失を被ったのは国民、とりわけ国債購入者

開戦となって、各国政府は、国債を自国の中央銀行に引き受けさせることを、戦費調達の最大手段としたようです。国家の借金は個人の借金と異なり、紙幣の新規発行という手段を使うことができました。紙幣の流通量が膨張する一方、戦争によって生活必需品等は供給が制約されているのですから、激しいインフレになることは自明の理です。

国債という国家の借金も個人の借金と同じく、後日返済しなくてはなりません。返済時までにインフレが激しくなればなるほど、借金をしている側が有利に、貸し手には不利になります。インフレの重大原因の一つである紙幣の流通量を管理しているのは国家です。国家の財務の専門家は、間違いなくインフレとなる事が分かっていて、すなわち、返済時に国家の負担が実質的に軽減されることが分っていて、国債を発行した、と言えます。

損をしたのは国民、とりわけ国債を個人で購入した人々には大損になりました。激しいインフレ状況下、国債が償還された時に戻ってきたのは、購入時の価値からは大きく減価した金額でしたから。「戦時の国債を購入すると経済的には大損になる」というのが経験則であると言えます。

そもそも政府に戦争を回避させ、戦費調達を不要とすることこそ、国家・個人のどちらにも利益になる方策である、と言えるようです。ただし、実際に攻め込まれてしまったら、金額の問題ではなく防戦せざるを得ないところは、厄介なところです。

 

国家の借入金が増えすぎると、政府はインフレ政策を取る

なお、この第一次世界大戦後のインフレ経験は、第二次世界大戦後に再び繰り返されました。やはり国債発行により戦費を国民から借りまくって長期戦を行った日本が、敗戦後ハイパーインフレに襲われたのは、この第一次世界大戦の経験に照らせば、当然のことであった、と言えるわけです。

すなわち、インフレは、国債を発行しすぎて借金返済の困難に陥っている政府に都合がよい状況です。

こうした歴史的経験を踏まえると、国家の借入金が増えすぎた2010年代半ば以降、2020年代の現在に至るまでの日本で、政府・日銀がデフレを批判しインフレを擁護しているのは、政府の借入金の重圧を少しでも軽減することが目的であることがよくわかります。

その方策が妥当であるかどうかは別にして、目的そのものは理解できます。しかし、その場合、損は国債を買っている国民に回ることになることが説明されていない点はフェアではないように思います。

他方、政府はインフレ率をきわめて低水準に抑えることで国民の不満が増大しすぎないように試みていますが、これでは国家の借入金が急減することはありえず、財政の歪みが超長期化することになってしまいます。愚策と言わざるを得ないように思われます。

大胆な規制緩和を行って、経済の抜本的な新陳代謝を図らないと、いつまでも日本経済の低迷からは抜け出せないでしょう。

 

主要国のインフレ状況、終戦時の物価は開戦時の2~4倍に

第一次世界大戦の期間中、主要国ではどれぐらいのインフレになったのか、再びフィスク前掲書のデータをグラフ化してみました。

第一次世界大戦期間中の主要国の卸売物価指数 グラフ

このフィスク前掲書のデータでは、1913年を100とした時、1918年第4四半期の卸売物価指数は、イギリス・ドイツ・アメリカの3国は200~233、フランスが360、イタリアは443であった、となっています。

ただし、他書、例えばJMウィンター 『第一次世界大戦』 では、イギリスやフランスでは戦争中に物価が2倍になったが、ドイツ、オーストリア=ハンガリーでは3倍から4倍の高騰、とされており、こちらの方が正しいのかもしれません。

なお、有名なドイツのハイパーインフレは、戦争が終わってほぼ1年後の1919年後半から始まり、とりわけ1922年以降に著しくなったものであり、上のグラフよりも後の時期に起こりました。

このフィスクのデータによれば、1918年10月に233であったドイツの卸売物価指数は、1919年4月はまだ286、それが同年10月には562と上がり始め、1920年1月には1,256、1921年1月には1,430、1922年1月には3,665に急騰、さらに同年7月には10,059、1923年1月には278,476、同年7月には7,478,700へと、天文学的数字になっていったということです。

 

参戦と経済成長率

参戦しなかった国の方が経済成長率は高かった

戦争の経済的影響について、上掲のブロードベリー&ハリソン 「第一次世界大戦の経済学」は、参戦して戦費支出を行った交戦国と、参戦せず戦費支出のなかった中立国の経済成長率を、大戦前から大戦終了の11年後までの長期間で比較しています。

欧州各国の経済成長率(実質) 1913-1929 表

中立国中の最低だったスウェーデンの成長率と、参戦国中の最高であったフランスの成長率は、どちらも1.9%で同じで、全般として中立国はどの国も、参戦国より高い経済成長率を達成したことが明らかです。戦争のネガティブな影響が、この比較からも確認できます。

 

「第一次世界大戦の主要国の戦費」を整理すると

第一次世界大戦の戦費についての整理から、何が言えるかを、改めて総括したいと思います。

● 長期戦になると、経済力が勝敗を決定する。経済力では、開戦時から、連合国側が優位であった。

● 経済指標の中では、「一人当たりGDP」が最重要である。主要交戦国中、一人当たりGDPが一番低いロシアが最初に脱落、二番目に低いオーストリアも実質的に脱落した。

● 第一次世界大戦は、軍事面では、主にドイツ対フランス・イギリス・ロシアの戦いであったが、資金面では、主にドイツ対イギリス・アメリカの戦いであった。

● イギリスは、軍事的にも自軍が活躍したが、資金面でも他の連合国を支えた。イギリスの勝利への貢献は非常に大きかった。

● イギリス・ドイツの戦費支出は、通常支出の4~5年分、国民所得のほぼ2年分という巨額に達した。その他の主要国も、国民所得の1年分以上を戦費に注ぎ込んだ。

● 戦費は、ほぼ全額が借り入れで賄われた。中央銀行が国債を引き受け、紙幣を発行した。その結果、戦中から戦後に、交戦各国は激しいインフレとなった。

● また、戦争の結果、交戦国の経済成長率は、中立国よりも低くなった。

昭和前期の日本軍は、第一次世界大戦時のヨーロッパの経験から、適切な学習を行った、とはとても言えないようです。敗ける戦争はもちろんのこと、長期戦になってしまうなら、勝てる戦争も絶対にしてはいけない、という教訓を全く学んでいなかった、頭の悪い劣等生であった、と言わざるを得ないように思いますが、いかがでしょうか。

 

 

次は、第一次世界大戦の「大量殺戮」での戦没者数についてです。