6i 第一次大戦期の朝鮮・中国

 

第一次世界大戦期の日本を考えるさい、当時の日本が植民地としていた朝鮮や、勢力拡大を図ろうとしていた満州・中国などの状況は、理解しておく必要があると思われます。

当時の朝鮮・満州・中国の状況について参考になる図書には、以下があります。ここに挙げたもののほとんどは、他に注記がない限り、「5 日本が学ばなかった大戦の教訓 5c 植民地保有はリスク」のページで、引用等を行っています。

 

 

朝鮮・満州・中国について

姜在彦 『朝鮮近代史』 平凡社選書 1986
姜在彦 『日本による朝鮮支配の40年』 朝日新聞社 朝日文庫 1992 (初刊 大阪書籍 1983 )

姜在彦 『朝鮮近代史』 ・ 『日本による朝鮮支配の40年』 カバー写真

まずは、当時の朝鮮の状況に関する図書として、姜在彦氏の著書2冊です。

『朝鮮近代史』 は、1801年純祖即位以来の勢道政治から、1945年「解放」直後の建国運動と挫折までの、約150年ほどの期間の朝鮮近代史を叙述しています。

全体で300ページちょっとの分量のうち、1905年の日本による保護国化までが、約2分の1弱、日本の植民地時代が残り約2分の1強、という構成です。

『日本による朝鮮支配の40年』 は、1904-05年の日露戦争期に朝鮮が日本の保護国化されていく過程から、日本の敗戦までの、いわば本論部分のみならず、戦後の在日朝鮮人の形成や戦前の在日朝鮮人運動史という補論的部分を含んでいて、全体では270ページほどの分量です。

すなわち、日露戦争より以前の歴史については 『…近代史』 が、日露戦後の植民地時代については両書が、在日朝鮮人問題については 『…40年』 がカバーしている、ということになります。

この2書は、ほぼ同時期の出版でもあり、両書の内容が重なり合っている日本の植民地時代については、当然ながら、ほぼ同一の記述となっている箇所も多くあります。

ただし、『…40年』 の方は、もともと朝日カルチャーセンターでの講演録を活字化したもの、という成り立ちから、読みやすい文体となっている一方、『…近代史』 の方は教科書的で固い記述、という性格の違いがあります。

日本の植民地時代の朝鮮についての基礎知識を得るという目的であれば、両書のどちらでも、大きな価値があると言えるように思います。

本ウェブサイトでの三・一運動についての確認では、この両書に頼りました。

 

 

 

 

 

 

 

山辺健太郎 『日韓併合小史』 岩波新書 1966

山辺健太郎 『日韓併合小史』 カバー写真

本書は、1876年の江華島条約で朝鮮が開国してから、1910年日本に併合されるまでの歴史をかいたもの(「まえがき」)です。

日本が韓国を併合していく過程に関しては、まず本書、という必読の書であり、名著であると思います。

本書の最大の特徴は、著者自身の記述は簡潔にして、その記述の典拠となっている史料を、多数そのまま載せているところにあります。

すなわち、いわば史料集としての機能も果たしており、そのため、現在に至っても価値を少しも失っていません。

ただし、史料は、現代語訳は付されておらず、原文のままで全文掲載されてますので、読むのに多少骨が折れます

 

 

 

 

 

 

中野正剛 『我が観たる満鮮』 政教社 1915(大正4)

中野正剛は、1920(大正9)年に代議士となっていますが、それ以前は朝日新聞の記者でした。本書は、そのジャーナリスト時代の著作です。本書は、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。

中野正剛は、1913(大正2)年に結婚すると、すぐに朝日新聞社の特派員として朝鮮京城に赴任、同年9月末からは満州への視察旅行にも出かけています。本書が出版されたのは第一次世界大戦の勃発後ですが、本書の内容のほとんどは、大戦勃発直前期に執筆されたようです。すなわち本書は、第一次大戦直前期の朝鮮および満州についてのジャーナリストとしての観察と、その観察に基づく提言が内容となっている、と言えます。

朝鮮については、「総督政治論」(1914年4月から朝日新聞に連載された)・「今後の東拓会社」・「同化政策論」・「一瞥せる朝鮮の地方」の各章と、赴任時の紀行文である「京城まで」があり、満州については「満洲遊歴雑録」・「如何に大鉈を振う-満鉄と官僚及政党」の各章と、『東洋経済新報』が主張した小日本主義による満蒙放棄論に反駁した「大国大国民大人物」が含まれています。

本書中で中野は、朝鮮については、寺内朝鮮総督や東洋拓殖会社を強く批判、そればかりか、朝鮮に来る日本人のほとんどが自主的に発展する能力を欠き総督府の保護を受けたり不正の手段で不義の利をむさぼろうとしていると批判し、朝鮮人に参政権を与え官吏に任用せよと主張しています。三・一運動の数年前にこれだけのことを言っている点は、中野の見識の高さを示すものと言えるように思われます。

満洲については、都督府(陸軍)・満鉄・外務省の三頭政治を行う三者のそれぞれを批判、また、奉天・長春・吉林・ハルビンなど、満州各地の状況を観察しています。面白いのは、吉林で、「此地には…満鉄の行政なく、都督府の干渉なく、また我が一兵も有せずして、〔日本人〕住民は直接支那人及び支那官憲と相対 … 故に日本人は官民一致して相助け相寄り、支那人に対して良好の関係を維持しつつあり」と逆説的に指摘しているところ。上の朝鮮に来る日本人に対する批判も総合すれば、当時の日本人海外進出組の多数派の大きな課題が見えてきます。

本書は、あまり知られていない本かもしれませんが、当時の朝鮮や満州に関する一つの記録として、十分に価値があるように思われます。

なお、本書からは、本ウェブサイトでは、三・一運動や小日本主義に関連して引用を行いました。

なお、中野正剛がシベリア出兵に関連して帝国議会で行った演説や、中野正剛の評伝については、「本章 6k シベリア出兵」中の帝国議会「議事速記録」ほかの項目をご参照ください。

 

葦津珍彦 『大アジア主義と頭山満』 日本教文社 初版 1965 増補版 1972

中野正剛は、福岡出身であったため玄洋社の社員でもあり、頭山満とも親交がありました。頭山満と玄洋社は、しばしば右翼扱いされることもありますが、中野正剛は、その著作を読む限り、一般的な右翼とは相当に異なる主張の持ち主です。そこで、中野が親交のあった頭山満はどこまで右翼的であったのか、頭山の思想を理解しようと、読んでみたのが本書です。

本書は、いわゆる評伝ではなく、「頭山満という人物とそのアジア問題に対する思想とを、できるだけ平明に解説」(本書「はじめに」)するものです。本書によれば、アジアを植民地化しようとする欧米帝国主義に対し、日本の独立を守ろうとする決意が明治維新を生み出したのだが、その維新の精神をアジア解放の思想に結びつけたのが大アジア主義だ、ということになるようです。

「欧米=帝国主義」で邪と規定する点で観念的な正邪論にはなっていますが、アジアが連帯して欧米に対抗し独立を守ろうとする点は、偏狭な攘夷論とは明らかに異なる考え方でした。この考え方のゆえに、頭山はしばしば日本政府の方針に抗しても、朝鮮の金玉均、中国の孫文、インドのビハリ・ボースら、アジアの革命家を支援し続けました。とくに孫文との親交は深かったようです。

頭山は、アジアの連帯に対立することになるが故に、日本自身のアジアへの武断的侵出には反対であり、満州事変とそれに続く「満州国」の建国も、日華事変も、深く憂慮していたようです。その点で、国権の伸長=領土・勢力圏の拡張で正と見る一般的な右翼思考とは確かに異なっていたようですし、中野正剛の見解とも共通点が多かった、と言えるように思われます。

本ウェブサイトでは、第一次大戦中の中国の状況に関連して、本書から引用を行っています。

なお、玄洋社についての詳細な研究書としては、石瀧豊美 『玄洋社 - 封印された実像』(海鳥社 2010)があります。500ページを超える大著です。本書の研究対象はあくまで玄洋社という団体であって、頭山満個人とその思想ではありませんが、当然ながら玄洋社中の主要人物である頭山満についての事実に関する記述も多く含まれています。全般的にみると、自由民権運動当時の福岡と玄洋社についての記述が、最も豊かと言える思います。本書からは、本ウェブサイトでは引用等は行っていません。

 

臼井勝美 『日本と中国 - 大正時代』 原書房 1972

本書は、1911(明治44)年の辛亥革命から、1924(大正13)年末の郭松齢事件〔=奉天軍内の郭松齢が張作霖に反乱を起こし、張作霖が危機に陥ったのを、日本が干渉して張作霖を援けた事件〕まで、ほぼ大正時代全体にわたる期間の日中関係について、通史的に記述した研究書です。この時期の中国を知るためには、きわめて価値が高い一書であると思います。

もちろん、対華21ヵ条要求とその交渉についても扱われていますが、とくに交渉中に中国側で発生した対日ボイコットや反日感情の昂進について、その具体的な状況が記述されている点は、大いに参考になりました。

本ウェブサイト中の、対華21ヵ条要求の後、大隈内閣の反袁世凱方針から寺内内閣の援段方針を経て五・四運動に至るまでの、中国の状況の確認については、もっぱら本書に頼りました。

 

石橋湛山について

松尾孝兊 『近代日本と石橋湛山 - 「東洋経済新報」の人びと』 東洋経済新報社 2013

本書は、雑誌『東洋経済新報』と、その主幹であった三浦銕太郎および石橋湛山について、著者が1970年代から本書の出版までの期間に発表してきた論文等を集めたものです。とりわけ、明治末期から昭和前期まで、すなわち三浦と湛山が主幹であった時代の、『東洋経済新報』と、この二人が執筆した記事が、本書の主題です。

「論調は自由主義で一貫し、日露戦争後から満州事変前までの大正デモクラシー期には、言論界の最先端に位置した」この雑誌と、三浦銕太郎および石橋湛山の二人の人物について知るには、まず本書、という価値のある一書であると思います。

本書の書名には、石橋湛山の名が入っていますが、本書を読んで分かることは、湛山は独り突然に現れた巨星ではなく、『東洋経済新報』という雑誌を育てて来た独特の人脈の結果である、ということです。

この雑誌の主幹として湛山の前任者であり、湛山を育てた三浦銕太郎が偉大でした。「小日本主義」「満蒙放棄論」は、元々三浦が始めた主張でした。三浦自身は、その前の主幹であった植松考昭が、経済雑誌の狭い枠を破って普通選挙の主張を開始したり、社会民主主義者の片山潜を入社させるなどした影響を受けて、物の見方を広げたようです。この人脈の結果として、石橋湛山という人物が形成された、ということがよく分かります。

本ウェブサイト中では、三・一運動および五・四運動の発生にかかわる日本国内の言論に関連して、本書からの引用を行いました。

なお、昭和の満州事変期になって、事変や満州国の承認、国際連盟脱退などを煽った大新聞に対し、石橋湛山がどのような論戦を行ったかについては、半藤一利 『戦う石橋湛山 - 昭和史に異彩を放つ屈服なき言論』(東洋経済新報社 2001)が詳細です。ただし、本ウェブサイト中では本書からの引用等は行っていません。

 

松尾孝兊編 『石橋湛山評論集』 岩波文庫 1984

松尾孝兊編 『石橋湛山評論集』 カバー写真

石橋湛山研究の第一人者であり、上掲の 『近代日本と石橋湛山』 の著者でもある松尾孝兊の編になる評論集です。

湛山執筆の主要な評論が39篇、発表の年代順に所収されています。初期のものは 『東洋時論』 掲載のもの、その後敗戦までは全て 『東洋経済新報』 に掲載のものですが、戦後のものは 『東洋経済新報』 以外のものも含まれています。

本ウェブサイトでは、本書所収の評論のうち、「鮮人暴動に対する理解」「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」からの引用を行いました。これらの重要な評論が、『石橋湛山全集』に当たらずとも、岩波文庫で手軽に読める、というのは、たいへんにありがたいことだと思います。

ただし、上記の半藤一利 『戦う石橋湛山』で引用されている湛山の論説は、本書に収録のないものがほとんどです。わずか39篇では、湛山の偉大さを知るのに限界があるようです。

 

 

 

 

 

次は、第一次世界大戦での日本の戦いに関するもののうち、概説書および青島攻略戦を主題としているものについてです