2 第一次世界大戦の経過

 

ここからは、第一次世界大戦の戦闘の経過について、見ていきます。

ただし、日本軍が戦った青島攻略などの戦闘は、別途、「日本が戦った第一次世界大戦」のところで確認しますので、ここでは、第一次世界大戦の主戦場であったヨーロッパの戦闘について、すなわち、いわゆる「欧州大戦」の経過を見ていきます。

 

 

リデル・ハートの記述を基本に、他書と地図も参照して、「大戦の経過」を確認

第一次世界大戦の経過に関する事実を確認する手段として、ここではリデル・ハート 『第一次世界大戦』 (原著 Liddell Hart, History of the First World Warを基本とすることに致します。

リデル・ハート氏の著作よりも新しい書物も多いのに、あえて同氏の著作を基本として見ていく理由については、定評のある戦史であることに加えて、以下に説明する理由があります。

昭和前期の日本軍は、リデル・ハート氏の著作から第一次世界大戦の教訓を学ぶことが可能だった

リデル・ハート 『第一次世界大戦』 の出版は、下記の経過をたどりました。

● まず、1930(昭和5)年にThe Real War, 1914-1918(『真実の戦争1914-1918』) として出版された。

● 1934(昭和9)年には、増補版がA History of the World War 1914-1918(『世界大戦の歴史 1914-1918』) として出版された。

● さらに第二次世界大戦後の1970(昭和45)年に、書名をHistory of the First World War (『第一次世界大戦の歴史』)に変えて再版された。

● なお、邦訳は、1976(昭和51)年に、『第一次世界大戦』 の書名で、上村達雄訳でフジ出版社から出版された。現在は中央公論新社から出版されている。

すなわち、リデル・ハート氏の原著は1931(昭和6)年の満州事変以前に、増補版は1937(昭和12)年の日華事変(=盧溝橋事件)以前に出版されていましたので、昭和前期の日本軍はそれを読んで、リデル・ハート氏が語る第一次世界大戦の教訓を取り入れることが十分に可能でした。

さらに、リデル・ハート氏の1920年代・30年代の著作は、ドイツの将校たちに多大な影響を与えた(Wikipedia英語版の「B. H. Liddell Hart」の項で引用されたブライアン・ボンド氏の説)とされており、とすると、当時ドイツに少なからぬエリート将校を派遣していた昭和前期の日本軍の耳に入らなかったとは考えにくい、とも思われるのです。

第一次世界大戦の経過をリデル・ハート氏の著作で確認することにより、合わせて、リデル・ハート氏から学べたはずの教訓を、昭和前期の日本軍が、実際に学んだのか学ばなかったのか確認もできる、というのが、リデル・ハート氏の著作を基本にする理由です。

リデル・ハート以外では、AJPテイラーとJMウィンターを多く参照

ただし、主目的は大戦の経過を確認すること自体ですので、リデル・ハート氏の著作の記述だけでは不十分、と思われる個所については、もちろん他書も参考にしていきます。

他書の中では、とくに下記の2書を多く参照しています。

AJP テイラー 『第一次世界大戦』

JM ウィンター 『第一次世界大戦』

テイラー氏の原著は1963年に、ウィンター氏の原著は1988年に出版されています。出版の年代の違いは、両書の基本的なアプローチの違いとなって表れているようです。

 

第一次世界大戦の地図

戦史を理解しようとすると、やはり地図がないと理解しにくいことが多いため、筆者自身の理解のために作成した多数の地図を、参考用に載せています。その地図のほとんどは、主にリデル・ハート氏の著作の情報を、現代のGoogle Map上に表示することで作成したものです。

もともとリデル・ハート氏の著作には多数の地図が含まれていますが、局所の戦闘の詳細を示すことが目的であることが多く、一体どこの国のどのあたりの地域での戦闘なのか、マクロ的な理解には、残念ながらあまり役立ちません。筆者が作成したものは、マクロ的な理解のためのものです。

ただし、地名確認等の作業時に誤りをしでかしている可能性はあり得ますので、もしマチガイに気づかれましたらお知らせください。また、筆者が作成したものではなく、何かの著書等から引用した場合には、必ず引用元を表示しています。

 

本章 「第一次世界大戦の経過」の構成

戦闘の経過の確認は、基本的に、時系列順で進めていきたいと思います。以下の構成となっています。

1914年

2a1 1914年の西部戦線① シュリーフェン計画の実行と失敗

2a2 1914年の西部戦線② シュリーフェン計画の失敗の原因

2a3 1914年の東部戦線 タンネンベルクとレンベルク

2a4 1914年の海上の戦い 海上封鎖と艦隊決戦回避

1915年

2b1 1915年の西部戦線 塹壕戦

2b2 1915年のその他の戦線 ガリポリ、東部戦線、その他戦線

1916年

2c1 1916年前半の陸戦ヴェルダン・ブルシーロフ攻勢

2c2 1916年後半の陸戦ソンム・バルカン・イタリア・中東

2c3 1916年の海上の戦い ユトランド沖海戦と潜水艦

2c4 1916年 カブラの冬 講和の模索とドイツ国内食糧事情

1917年

2d1 1917年前半の西部戦線 ヒンデンブルク線とフランス軍内の反乱

2d2 1917年後半の西部戦線 第3次イープル戦とカンブレー戦

2d3 1917年の他地域の陸戦 東部戦線・イタリア・中東

2d4 1917年の海上戦と米国 無制限潜水艦作戦で米国参戦

1918年

2e1 1918年 独軍大攻勢の失敗

2e2 1918年 休戦へ

2e3 ドイツの敗因

 

 

まずは、「1914年の西部戦線① シュリーフェン計画の実行と失敗」からです。