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第一次世界大戦の戦史 (個別)第一次世界大戦の戦史、すなわち軍事的側面に限って記述しているもののうち、個別ないし特定時期の作戦を対象としているものについてです。 筆者の関心の持ち方の結果、とくに「シュリーフェン計画」を対象、あるいは重要主題としているものが多くなっています。
バーバラ・タックマン (山室まりや 訳)
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本書の著者のクレフェルトは、イスラエルの軍事史家です。 中公文庫版訳書の巻末には、石津朋之による 「マーチン・ファン・クレフェルトとその戦争観」という付論がついており、本書の解説の役割を果たすとともに、軍事史家としてのクレフェルトの基本的な戦争観を説明しています。 本書の主題は、「軍事史家によってしばしば無視」されている、軍隊への補給問題です。 16世紀中葉のスペインによる対オランダの反乱抑圧戦から始めて、とりわけ19世紀以降にページ数が大きく当てられ、ナポレオン戦争、プロイセンの普墺・普仏両戦争、第一次世界大戦のシュリーフェン計画、第2次世界大戦でのドイツの対ソ戦・ロンメルの北アフリカ作戦・連合軍のノルマンディ上陸作戦などでの軍事補給の実態が、具体的に論じられています。 |
著者は本書で、シュリーフェン計画失敗の主因は兵站問題であったとするリデル・ハートの指摘について、「彼の批判は兵站の問題に集中しているのだけれども、ドイツ軍の消費量や必要量を考えていないし、補給制度の組織について一言も述べていない」とコメントしています。
要するに、リデル・ハートのシュリーフェン計画批判は、兵站補給面に着眼した点は良かったが、定量的な分析や実行組織に対する具体的な考察が欠けているので、十分な論証になっているとはとても言えないと批判した、と解するのが妥当だと思います。本書の第4章は、まさしく、シュリーフェン計画の実行可能性についての、補給面からみた定量的・現実的な分析にあてられています。
第一次世界大戦の戦史を理解する上で、本書はきわめて高い価値がある、と思います。
このウェブサイトでは、「第一次世界大戦の経過 − 1914年 A シュリーフェン計画の失敗の原因」のページで、本書からの要約引用を行っています。
著者のクリスティアン・ウォルマーは、鉄道史に詳しいイギリス人のジャーナリスト・著作家です(Wikipedia英語版)。
本書は冒頭で、鉄道が戦争に使われだすと戦争の様態が変化したが、軍が鉄道の貴重性を認識して使いこなすようになるまでには長い年月を要したと指摘、19世紀半ばから第二次世界大戦後にいたるまでの、軍による鉄道活用の状況と、その変化を記述しています。
第一次世界大戦での鉄道の活用状況は、本書の記述の中核的な部分でもあり、全10章のうち3章が充てられています。西部戦線のみならず、東部戦線やバルカン・中東にまで至る各地での、大戦期間中の交戦各国の鉄道利用の状況が詳述されています。
戦史の補足として、読む価値のある1冊だと思います。
このウェブサイトでは、「第一次世界大戦の経過 − 1914年 A シュリーフェン計画の失敗の原因」、および「同 − 1916年 @ ヴェルダンとブルシーロフ攻勢」のページで、本書からの要約引用を行っています。
ドイツ軍事史に関する論文集であり、下記の論文が所収されています。
このウェブサイトでは、「第一次世界大戦が開戦に至った経緯 − 開戦前の各国軍隊の特質」のページでは上記のうち中島論文から、「第一次世界大戦の経過 − 1914年 A シュリーフェン計画の失敗の原因」のページでは小堤論文「モルトケとシュリーフェン」から、引いていますが、他にも参考になった論文が多数ありました。
価値の高い論文集であると思います。
防衛省防衛研究所の研究者である著者が、「シュリーフェン計画」に関わるさまざまな論点の整理を行った論文です。インターネット上で公開されています。
論点としては、@ 「シュリーフェン計画」の策定に至る東西両戦線を抱えたドイツの戦略問題、A「シュリーフェン計画」とは何かの定義問題、B「シュリーフェン計画」実行上の問題点、C「シュリーフェン計画」をめぐ政軍間の関係に関する問題、D「シュリーフェン計画」に関するその他の問題、という区分で整理されています。
論旨がいまひとつ明瞭とは言えないところはあるものの、シュリーフェン計画についてのさまざまな論点が記述された、読む価値の高い論文であると思います。
このウェブサイトでは、「第一次世界大戦の経過 − 1914年 A シュリーフェン計画の失敗の原因」のページで、本書からの要約引用を行っています。
本論文は、シュリーフェン計画の成立過程と、その後の小モルトケによる修正の実態を概観することによって、そもそもシュリーフェン計画とは何かを考察するとともに、日本の参謀本部ではどのように評価されていたか、を論じています。
著者は、シュリーフェンによる計画の原案については、ベルギーの中立侵犯、東プロイセンへのロシア軍の侵入、イギリス軍の介入、フランス側による反撃の規模によっては生じうる支障など、すべて考慮されている、しかし、ドイツ側の都合だけを最優先し、他に執るべき方策がないとして、二正面作戦に突進していった点に、最大の問題があった、と評しています。
一方、小モルトケによる修正については、前任者の構想の欠陥が認識された一方、手直しによってもドイツ側の戦略計画が根本的にかかえる矛盾を解消することはできず、それを承知で1914年8月を迎えた、としています。
日本の参謀本部は、結局、もしシュリーフェン計画が原案の通りに実行されていたら、ドイツは戦争に勝っていただろうという判定を行い、現実の政治や外交、外部の事情などを顧慮しない独善性を引き継いでしまった、としています。
シュリーフェンによる原案の問題点の指摘には同意しますが、著者による小モルトケへの評価は、小モルトケによる修正の問題点の指摘が不足いていて、説得力が少し足りないように思われます。
この論文からは、本ウェブサイト中では引用等は行っていません。
第一次世界大戦とその影響について、26編の論文と2編の書評が集められた論文集です。
論文の主題は、独英仏米の主要交戦国に関するもの、独仏ロ中の各国での研究動向、第一次大戦中の海戦・通商破壊戦に関するもの、第一次大戦後の日本の陸軍における大戦の影響に関するもの、などきわめて多岐にわたり、また最近の論文らしく細分化された内容となっています。
本ウェブサイトでは、本書に収録の論文のうち、吉田靖之 「第一次世界大戦における海上経済戦と RMS Lusitania の撃沈」から、「第一次世界大戦の経過 1915年A ガリポリ、東部戦線、その他の戦線」のページで、要約引用を行っています。
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本書は冒頭、「第一次世界大戦の最後の年、1918年。その年の当初には世界最強と目され、3月の大攻勢で敵の塹壕線を突破し戦術的に「大成功」を収めたドイツ軍は、なぜ1年も経ずに敗れることになったのだろうか」という設問から始められています。 本書の目的について、著者は、「ドイツ軍の実相を追い、ドイツ軍とドイツの敗北の真相に迫るのが本書の第一の目的」、また「国家戦略という視点から考えたとき、1918年のドイツの指導者とその指揮や国家政策の遂行にはどのような問題があったのか、それらを解き明かすことも本書の目的」としています(「まえがき」)。 すなわち本書は、一言でいえば、軍事史の分野を記述の中心に据えた「ドイツからみた第一次世界大戦史」であり、軍事的な経過の各ポイントでの、ドイツ指導者層(カイザー・宰相・参謀総長ら)の反応が詳細に記述されています。 |
とくに1918年については、春季攻勢の準備段階で行われた戦術面のカイゼンから、春季攻勢から休戦に至る個々の作戦の過程まで詳細に論じられており、「1918年のドイツ戦史」でもあります。
日本で出版されている第一次世界大戦に関する研究書中には、このような視点から書かれた類書はほぼ存在しておらず、本書には大いに読む価値があると思います。
また、「あとがき」中で著者は、「本書でとくに参照した」ものとして、ヴィルヘルム・ダイスト Diest (独)、デービッド・ザベッキ Zabecki (米)、ホルガ―・H・ハーウィック Herwig (カナダ)、アレクサンダー・ワトソン Watson(英)らの著作を上げています。いずれも、日本語の翻訳が出版されていない著作であり、この点でも本書の価値はきわめて高いと思います。
本ウェブサイトでも、「第一次大戦の経過 − 1918年@ 独軍の大攻勢」と「同 − 1918年A 休戦」のページで、本書から引用・要約を行いました。
ただし、本書は300ページ弱の新書版であることから、その制約も受けています。その点て一番残念なのは、本書の本文中の記述には典拠の明示がほとんどないことです。巻末に「主要参考文献リスト」を付したので、本文にいちいち注記をつけるのは避けた、と理解できなくはありません。しかし、たとえばドイツの開戦決定に関し、「少なくともカイザーとベートマンはヨーロッパ全体を巻き込んだ戦争は望んでいなかったにもかかわらず、ドイツはなすすべもなくヨーロッパ戦争に巻き込まれていった」として、ドイツは第一次大戦開戦の主犯ではなかったかのような記述を行っている点など、とくに通説とは異なる記述がある場合などは、論拠となる史料を明確にしていただくのが妥当であったと思います。典拠の明示がほとんどないため、本書は研究書の必要要件を必ずしも満足しておらず、せっかく優れた中身であるのに、読み物になってしまっているようにも思われます。
もう一つは、本書の記述が、戦争の経済的側面までは及んでない点です。ドイツ軍と連合軍の1918年3月時点の兵員装備の比較は記述されていますが、軍の戦力の基盤である武器弾薬食料の供給能力が、1918年初めまでにどこまで悪化していたのか、連合国との長期戦をさらに継続する余裕はまだあったのか、という分析は十分とは言えないように思います。記述が戦争の経済的側面にまで及んでいれば、1918年の当初に、ドイツ軍はその時点の瞬間風速では世界最強でも、大規模作戦1〜2回ほどの継戦能力しか残されておらず、最終的な敗北は時間の問題だった、という分析が加わっていたのではないかと推察します。
こうした制約はあっても、本書は一読の価値が十分にある一書であることは間違いありません。連合国側から書かれた第一次世界大戦史とともに、本書も併せて読む、という読み方が、第一次世界大戦の全体像を理解する上でもっともおすすめの読み方、と言えるように思います。また、本書での1918年の春季攻勢から休戦までの経過の詳述は、前年中に勝利の条件を失ったドイツ軍が、どのように崩壊していったかをより明確に理解できるという点で、非常に価値があると思います。
本書を読んで筆者が感じた、1918年のドイツ軍に関する結論は、その継戦のための内部リゾースが縮小しつつある状況で、現実の制約条件のなかで最善のカイゼンを最後まで意欲的に実行し、使える限りの内部リゾースを最大限活用して作戦を成功させた優れた組織であり、能力枯渇を感じた兵士の逃亡が目立って増加したに拘わらず、なおも西部戦線の防衛線は守っていた強い組織である一方、客観的に見てこれ以上の継戦能力は無いと判断すれば、即座に休戦に動くというきわめて合理的な組織であった、ということです。それと比べ、昭和前期の日本陸軍は、本当に残念な組織でした。
次は、リデル・ハートへの批判や論評に関するものについてです。