1 第一次世界大戦の開戦

 

まずは、第一次世界大戦がなぜ勃発してしまったのか、開戦に至った経緯について確認していきたいと思います。

 

 

第一次世界大戦が開戦に至った経緯

なぜオーストリア皇太子暗殺事件が、大戦に発展してしまったのか

サラエヴォ Sarajevo でのオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件が、第一次世界大戦の引き金になった、というのは常識であろうと思います。それでは、なぜオーストリア皇太子夫妻がサラエヴォでセルビア人に暗殺された事件が、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなどを巻き込んだ大戦に発展してしまったのでしょうか。

当時の大国の一つであった「オーストリア=ハンガリー帝国」の皇太子の暗殺は、確かに小事件として済まされるわけにはいかなかったであろうことは間違いありません。しかし、それがオーストリア対セルビア2国間の局地紛争にはとどまらず、欧州列国間の大戦争、さらには世界大戦になってしまった、というのは、考えてみると非常に不思議なことです。

 

独墺と英仏露との対立は、局地戦で済まなかった説明にならない

ドイツとオーストリアは同盟国であったし、イギリス・フランス・ロシアの三国には協商関係があった、というのが通常その理由として挙げられることです。しかし、単に対抗する二つの同盟関係が存在していた、というだけでは、皇太子暗殺事件が、オーストリア対セルビアの局地的な紛争では済まず、大戦争になってしまった、ということの十分な説明にはなっていないように思います。

なぜ局地紛争では済まなかったのでしょうか?

 

本章の内容 - 開戦の経緯についての確認

そこで、この章では、皇太子暗殺事件が二国間の局地紛争では済まず、大戦に発展してしまった経緯を、以下の順序で確認していきたいと思います。

 

1a 開戦前の欧州の国境

当時の状況を理解するためには、まず、当時の国境線が現在の国境線とは全く異なっていたことを理解する必要があるように思います。実際、第一次大戦時までは、ドイツとオーストリアはロシアと国境を接していました。

 

1b 開戦前の欧州の同盟関係

局地紛争では済まず大戦に発展してしまった背景に、当時の欧州列国の同盟関係があったことは間違いありません。この点を確認します。

 

1c サラエヴォ事件で局地紛争

皇太子暗殺事件後、オーストリアがセルビアに最後通牒を送り、宣戦布告する時点までは、オーストリア対セルビア2国間の局地戦で済まされる可能性が十分ありえたことを確認します。

 

1d 宣戦布告で欧州大戦化

オーストリアのセルビアへの宣戦布告に対し、まずはロシアが、次にロシアに対抗してドイツがとった対応が、局地戦で済むはずであった紛争を、欧州全部を巻き込む大戦に拡大してしまったことを確認します。

 

1e 開戦前の欧州各国軍

開戦直前の時点で、欧州列国の軍事力がどの程度のものであったのか、主要国軍の特質についても、確認しておきたいと思います。

 

 

「オーストリア」・「皇太子」という表記について

「オーストリア」の表記、内実は「ハプスブルク帝国」

ここで2点、用語上のお断りをしておきます。当時のオーストリアは、より正しくは「オーストリア=ハンガリー帝国」と呼ぶべきであることは間違いありません。最近の研究書ではその呼称も正確ではないということで、むしろ「ハプスブルク帝国」という表記になっているものを多くみかけます。

しかし、家名による「ハプスブルク帝国」では地理的な感覚に直結せず、また必ずしもなじまれている表記ではないように思われます。また「オーストリア=ハンガリー帝国」では地理的にはより分かりやすいものの、地理の全体を適切に示しているとは言えず、とにかく国名として長い、という点もあります。

そこでこのウェブサイトでは、特に必要がない限り、あえて「オーストリア」と略記します。あくまで便宜上の表記であり、実態は「ハプスブルク帝国」を指すものとしてご理解をいただきたいと思います。

 

「皇太子」の表記、皇帝の子ではないが

また、暗殺されたフランツ・フェルディナント大公 the Archduke Franz Ferdinand は、フランツ・ヨーゼフ Franz Josef 皇帝の甥ですが、皇帝の子が亡くなって帝位継承順位筆頭者でした。

皇帝の子ではないので、正確には「皇太子」ではなく「帝位継承者」と呼ぶべきである、という議論もあるかと思いますが、わかりやすくするため、「皇太子」と表記しています。

実際、日本では、例えば 『日本書紀』 に、中大兄皇子(天智天皇)は、叔父であった孝徳天皇の「皇太子」であった (「皇太子」と書いて「ひつぎのみこ」と読む)と記されています。あるいは、大海人皇子(天武天皇)は、兄である天智天皇の「東宮大皇弟」であった(「東宮大皇弟」と書いて、これも「ひつぎのみこ」と読む)、とされています。天皇の子でなくても、「皇太子=ひつぎのみこ」なのです。

海外国内を問わず、第一次世界大戦の研究書の中に、フェルディナント大公を「皇太子」あるいは英語で「crown prince」と表記しているものも現に少なからずあることから、ここでは広義の表現として「皇太子」を使っています。この点もご理解をお願いします。

 

 

それでは、第一次世界大戦が開戦に至った経緯について、まずは、第一次世界大戦前のヨーロッパの国境について、です。