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ここからは、第一次世界大戦の戦闘の経過について、見ていきます。 ただし、日本軍が戦った青島攻略などの戦闘は、別途、「日本が戦った第一次世界大戦」のところで確認しますので、ここでは、第一次世界大戦の主戦場であったヨーロッパの戦闘について、すなわち、いわゆる「欧州大戦」についての経過を見ていきます。
リデル・ハートの記述を基本に、「大戦の経過」を確認第一次世界大戦の経過に関する事実を確認する手段として、ここではリデル・ハート 『第一次世界大戦』(原著 Liddell Hart, History of the First World War)を基本とすることに致します。 リデル・ハートの著作よりも新しい書物も多いのに、あえてリデル・ハートの著作を基本として見ていく理由については、定評のある戦史であることに加えて、以下に説明する理由があります。
昭和前期の日本軍は、リデル・ハートから第一次世界大戦の教訓を学ぶことが可能だったリデル・ハートの『第一次世界大戦』の出版は、下記の経過をたどりました。
すなわち、リデル・ハートの原著は1931(昭和6)年の満州事変以前に、増補版は1937(昭和12)年の支那事変(=盧溝橋事件)以前に出版されていましたので、昭和前期の日本軍はそれを読んで、リデル・ハートが語る第一次世界大戦の教訓を取り入れることが十分に可能でした。 さらに、リデル・ハートの1920年代・30年代の著作は、ドイツの将校たちに多大な影響を与えた(Wikipedia英語版の「B. H. Liddell Hart」の項で引用されたブライアン・ボンドの説)とされており、とすると、当時ドイツに少なからぬエリート将校を派遣していた昭和前期の日本軍の耳に入らなかったとは考えにくい、とも思われるのです。 第一次世界大戦の経過をリデル・ハートの著作で確認することにより、合わせて、リデル・ハートから学べたはずの教訓を、昭和前期の日本軍が、実際に学んだのか学ばなかったのか確認もできる、というのが、リデル・ハートの著作を基本にする理由です。
リデル・ハート以外では、AJPテイラーとJMウィンターを多く参照ただし、主目的は大戦の経過を確認すること自体ですので、リデル・ハートの著作の記述だけでは不十分、と思われる個所については、もちろん他書も参考にしていきます。 他書の中では、とくに下記の2書を多く参照しています。 テイラーの原著は1963年に、ウィンターの原著は1988年に出版されています。出版の年代の違いは、両書の基本的なアプローチの違いとなって表れているようです。
第一次世界大戦の地図戦史を理解しようとすると、やはり地図がないと理解しにくいことが多いため、筆者自身の理解のために作成した多数の地図を、参考用に載せています。その地図のほとんどは、主にリデル・ハートの著作の情報を、現代のGoogle Map上に表示することで作成したものです。 もともとリデル・ハートの著作には多数の地図が含まれていますが、局所の戦闘の詳細を示すことが目的であることが多く、一体どこの国のどのあたりの地域での戦闘なのか、マクロ的な理解には、残念ながらあまり役立ちません。筆者が作成したものは、マクロ的な理解のためのものです。 ただし、地名確認等の作業時に誤りをしでかしている可能性はあり得ますので、もしマチガイに気づかれましたらお知らせください。また、筆者が作成したものではなく、何かの著書等から引用した場合には、必ず引用元を表示しています。
「第一次世界大戦の経過」の構成戦闘の経過については、基本的に、時系列順で進めていきたいと思います。以下の構成となっています。 1914年1915年1916年1917年1918年A 休戦 B ドイツの敗因
まずは、1914年@ 西部戦線、シュリーフェン計画の実行と失敗、からです。
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