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このウェブサイトは、「カイゼン視点から見る日本の戦争」シリーズの2番目で、テーマは「第一次世界大戦」です。 シリーズの最初のテーマは「日清戦争」でした(→ 「カイゼン視点から見る日清戦争」)。
「第一次世界大戦」では、世界の常識と日本の常識が乖離日本が、日清戦争の次に戦ったのは日露戦争であったのに、日露戦争は飛ばして「第一次世界大戦」を取り上げたのは、以下の理由によります。
なお、第一次世界大戦について、とくにこの戦争の特徴を最も表している戦争による死者の多さについて、世界の常識と日本の常識がどれだけ乖離しているかについては、もう少し詳しく別のページに書きましたので、こちらをご覧ください。
このウェブサイトでは、事実をカイゼン視点から再構成このウェブサイトでは、第一次世界大戦がどういう戦争であったのか、その事実を研究書などから確認し、カイゼン視点から整理・検討してみることで、現代の世代が、歴史から何かを学ぶことを課題としています。一次資料を自ら研究したものではありませんので、いわば大学生の卒業論文程度のレベルのものに過ぎません。 大学生の卒論レベルのものをあえてウェブサイトとして出す理由は、第一次世界大戦について、同じような視点から評価・記述している研究書はほぼ存在していない、と思われるためです。 カイゼンという、通常なら企業活動の中でしか使われない用語をキーワードとして、歴史の事実を整理してみる、という取組ですから、他にはあまり例がないのも当然かもしれません。 カイゼン視点から歴史を見る、とは、具体的にどのような手法を歴史の見方に適用することなのか、別のページに整理しましたので、こちらをご覧ください。 当然ながら、このウェブサイトでは研究書・論文等からの引用や要約を多数行っており、地図や写真等も使用しています。そうした引用や要約を行う際の原則についても、別のページに整理しましたので、こちらをご覧ください。 → 引用等の原則 このウェブサイトの制作者(以下「筆者」)は、どういう経歴から、歴史の見方にカイゼン視点の適用を行うに至ったのか、もしもご興味があればこちらをご覧ください。 → 筆者の自己紹介
カイゼン視点から見た、第一次世界大戦の教訓カイゼン視点から第一次世界大戦を見てみた結果として、従来の研究書には指摘されていない重要なことがらや、あるいは、研究書に指摘されていても一般的な常識には欠けていることがらが、いろいろある、と気づきました。 以下は、筆者がカイゼン視点から見てみることで気がついた、第一次世界大戦に関する主要な事実と、そこから得られる最も重要な教訓です。
昭和前期の日本は、第一次世界大戦の教訓を学ばなかったために、大失策を犯した上に整理してみた教訓を眺めてみると、第二次世界大戦でもこれらの教訓はまるまる生きていた、と言えるように思います。一方、昭和前期の日本は、これら第一次世界大戦の教訓には反することばかりをやってしまったように見えます。 大正期の日本の陸海軍は、第一次世界大戦に多少なりとも参加していただけでなく、欧州を調査して十分な観察を行って、学ぶべき大戦の教訓は何かを適切に認識しうるだけの材料は、集めていました。 列国間の戦争となれば、とにかく経済力、とりわけ工業化の進展度が重要でした。したがって、日本が列国とも戦争ができる軍事力を持つ必要があるのなら、まずは軍備の基盤としての日本の工業化の促進が重要でした。また、兵員数を多く持つよりもむしろ列国並みの新兵器を揃えていることが重要でした。 加えて、工業化レベルが低いうちに欧米列国と戦えば、長期戦となって最終的には国力差から敗けることが確実であり、敗ければ国が亡ぶので、工業化レベルが追いつくまでは、欧米列国との対立から経済封鎖を受けることがないよう、国際協調を進めていくのが適切でした。 それにもかかわらず、当時の日本の陸海軍とも、日本国内での軍自身の体面や地位の保持を優先して、第一次世界大戦の教訓を前向きなカイゼンには役立てなかった、と言わざるを得ないように思われます。すなわち当時の日本は、日本の工業化促進を優先せず、新兵器も揃えず、他方では日本の一方的な国益の主張に固執して国際協調には背を向け、結果として、昭和前期の敗戦という大失策を犯すことになってしまいました。 第一次世界大戦についての世界の常識と日本の常識の乖離、というポイントから出発して、筆者は、昭和前期の日本の失敗の原因に行き当たった次第です。 体面や地位の保持、すなわちメンツが優先されて、世間・世界の動向には反する決定がなされ実行されてしまう、という現象は、現代の日本でも、とりわけ経済的に合理的な行動が必須のはずの企業にあっても、未だにときどきみられる現象です。1世紀前の第一次世界大戦をカイゼン視点から見直してみることは、現代にあっても、十分に意義があることのように思われます。
このウェブサイトの構成このウェブサイトでは、下記の内容で、事実の確認と、それに対するカイゼン視点からの検討を行っています。 なお、この大戦について、通常は「第一次世界大戦」という用語を使用していますが、とくにヨーロッパでの戦闘に限定して、あるいは、日本から見た第一次世界大戦という観点から記述する場合には、「欧州大戦」という用語も使用しています。 最初に、1914(大正3)年に第一次世界大戦が開戦されてしまった経緯についてです。サラエヴォでのセルビア人によるオーストリア皇太子暗殺事件という、本来であればオーストリア対セルビア間の局地紛争で済まされて当たり前と思われる事件が、なぜ世界大戦に発展してしまったのかを、確認しています。主要交戦国各国の軍隊の特質についても、確認を行っています。 次に、1914年8月に始まった第一次世界大戦(欧州大戦)が、1918年11月に休戦となるまで、約4年3ヵ月間の長期にわたった戦闘の経過を、時系列を追って、具体的に確認しています。主要な戦闘については、筆者が作成した地図も加えて、少しでも状況を理解しやすくなるようにしました。この確認作業を行うことによって、第一次世界大戦の教訓は何であったのかがよりよく理解できます。 第一次世界大戦の経過、およびその結果について、主要交戦国が支出した戦費とその経済的影響、1700万人もの戦没者を生じさせた大量殺戮、大戦中に著しく進行した兵器と軍事技術のカイゼン、結果として主要交戦国が得たもの・失ったもの、という観点から、総括を行っています。第一次世界大戦の教訓と言えるものを整理しました。 第一次世界大戦には、日本も参戦しています。当時の日本の経済と政治の状況、日本の参戦決定の経緯、日本軍が史上最も優れた戦いを行った青島攻略戦、それに派生して行われた対華21ヵ条要求、日本海軍の南洋諸島と地中海での戦い、日本陸海軍の連合国への協力、大戦末期から1922年まで続いたシベリア出兵、について確認しています。 第一次世界大戦後の日本は、第一次世界大戦の貴重な教訓を十分に学べたはずであったのに、実際には教訓を積極的に生かすことがなく、結果として昭和前期の大失策につながる原因を生じさせてしまったように思われます。第一次世界大戦の教訓としてとくに重要と思われる、軍備よりも工業化、植民地の保有はリスク化、兵員数より最新兵器、艦隊決戦より海上封鎖、孤立せず国際協調、という5つの重大な教訓について、第一次世界大戦後の日本がそれを生かさなかった経緯を確認しています。 最後に、このウェブサイトを制作するにあたって、そこから引用・要約を行った研究書、あるいは引用はしていないものの、当時の時代や人物・事物を理解するために何らかの参考にした図書等について、整理しています。もしもまだお読みになっていない本があればぜひ読んでみていただきたい、という観点から、読書案内にもなることを意図して、それぞれの内容も紹介しています。
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